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秋月観光・旅行

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平成28年11月19日:秋月にて撮影

筑前の小京都 秋月

鎌倉時代、原田種雄が幕府より秋月庄を賜り秋月城の築城を始める。それ以降原田氏は秋月氏を名乗り、以後17代にわたって統治が続き城下町として栄える。しかし九州に攻め込んだ豊臣秀吉の軍勢の前に敗れ、秋月氏は日向国高鍋に移封された。その後江戸時代に入り、福岡藩を統治していた黒田官兵衛(如水)の長男、黒田長政の遺言により、長政の三男黒田長興が秋月に5万石で分封され秋月藩が成立、城下町を立て直した。以後は黒田氏による統治が明治時代の廃藩置県まで続くこととなる。 廃藩置県により秋月県が誕生、県庁所在地となったがすぐに福岡県に統合され、県内の一都市となった。その後、明治政府の打ち出した政策に強い不満を抱いた士族により、秋月の乱が起こった。 現在では秋月城址周辺の桜や紅葉も見事で、城下町の風景と相まって筑前の小京都といわれ年間60万にも及ぶ人々が訪れ、多くの観光客で賑わう歴史のロマンに満ち溢れた城下町です。

 

目鏡橋

IMAG1914福岡県指定有形文化財 秋月の城下町入口に架かる目鏡橋は1810年に秋月藩の家老 宮崎織部が長崎から石工を招き、橋を架けました。 秋月の目鏡橋は近郊の花崗岩(御影石)で造られた珍しい橋です。 眼鏡橋ではなく、目鏡橋が正式な名称です。

 

黒門

福岡県指定有形文化財 紅葉スポット! 垂裕神社の参道に黒門があり700年の歴史をもっています。 戦国時代に古処山城の裏門として造られましたが、黒田長興が入封するに当たり寛永元年に秋月城の大手門として移されました。明治時代からは垂裕神社の神門に使われています。

 

長屋門

福岡県指定有形文化財 秋月城跡の梅園入口に建つ長屋門です。 江戸時代初期に、御館奥御殿の御門として造られました。 この門の特徴は両側に門番などが住む長屋が続いています。

 

秋月郷土館

wpid-wp-1420876551482.jpeg秋月の歴史資料と美術品を展示している郷土の資料館。 秋月藩主が愛用の甲冑・刀剣や、秋月の歴史に纏わる文書・書跡・肖像画・屏風などが展示されています。

 

杉の馬場

花見スポット! 馬術の稽古に使われたので馬場と呼ばれました。以前は杉の並木がありましたが、明治時代に桜の木が植えられて桜並木に変わりました。

 

黒田家菩提寺

古心寺の境内にあり、墓所には黒田長政をはじめ秋月黒田藩主初代 黒田長興以下の歴代藩主の霊がまつられています。

 

武家屋敷

wpid-wp-1420876540591.jpeg戸波家 秋月藩士 戸波半九郎の武家屋敷。戸波家は初代秋月藩主黒田長興に供して秋月入りした戸波六兵衛を祖とし、馬廻組 知行300石を拝領し、代々秋月藩の要職にありました。戸波半九郎は明治9年に起きた秋月の乱の後に屋敷は秋月藩主黒田家に譲られ別邸として使われていました。

田代家 市指定有形文化財 旧田代家住宅は秋月藩家老の上級武家屋敷です。城下町に残された武家屋敷の中でも規模が大きく、この住宅のある区域は中央寺と呼ばれ、浅ヶ谷を挟んで秋月城と対峙する要衝で、田代家以外にも上級家臣が配置されていました。

久野家 久野邸は秋月藩の上級家臣屋敷です。田代家には見られない仲間部屋や馬屋、離れなども見ることもできます。 また久光製薬の会長の母方の実家で、今は久光製薬が管理しています。

 

石田家住宅

福岡県指定有形文化財 秋月城下町の町屋地区の中心部にある。もとは秋月藩の御用商人 甘木屋遠藤家の持家で、出店あるいは貸家として使用されてきました。西棟は宝暦の大火後すぐに再建され、東棟は寛政11年に建てられ幕末に改修を受けた記録がある。本住宅の特徴は、細長い敷地に典型的な町屋が並行して建ち、ある時は一棟に併合し、または再び二棟分割するという居住空間の巧みな利用法にある。

 

恵利暢尭殉節碑(腹切岩)

秋月種実の重臣であった恵利暢尭は、天正15年に豊臣秀吉が九州征伐に来た際、種実に和平を主張したが受け入れられず岩上で切腹し、死をもって戦うことの無謀さを訴えました。

 

※上記の情報の一部を「朝倉市商工観光課」様・「朝倉市観光協会」様にご協力いただき、「筑前の小京都 秋月 観光案内-戦国時代編-」「めぐりっと 朝倉」「秋月まち物語」を参考にさせて頂いております。

※wikipediaを一部引用(加筆・中略を含む)

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